含み損300万円を抱えて生活するとはどういうことか|誰にも言えなかった話

損失を打ち明けられず一人で抱え込む投資家

※この記事は「日経平均が上がり続けた数年間、僕は売りポジションを持ち続けた|通算約380万円損失の記録」の続きです。

▶ 第1記事はこちら:日経平均が上がり続けた数年間、僕は売りポジションを持ち続けた

目次

はじめに

含み損が300万円近くまで膨らんでいた頃。

私は普段通り生活していました。

会社にも行っていました。

子どもとも遊んでいました。

家族で出かけることもありました。

外から見れば、いつもと変わらない生活だったと思います。

でも頭の中では、ずっと同じことを考えていました。

日経平均はどうなっているだろう。

今日は上がったのか、下がったのか。

あとどれくらい耐えられるのか。

そんなことばかり考えていました。

妻には本当のことを言えなかった

妻は私が株をやっていることを知っています。

ニュースで日経平均が上がっている話を見た時、

「すごく儲かってたりするの?」

そんな風に聞かれたことがありました。

私は、

「損してる」

とだけ答えました。

本当の金額は言えませんでした。

その頃にはかなり大きな含み損になっていました。

でも言えませんでした。

家計は私が管理しています。

だからこそ、

その数字を口にすることができませんでした。

父にも言えなかった

父は昔から色々な面で助けてくれていました。

投資の話も時々していました。

ただ、父の方は堅実でした。

投資信託を積み立てていました。

大きく儲けているわけではありません。

それでも少しずつ資産を増やしていました。

そんな父から、

「NISAやったらどうだ」

「日経平均はまだ上がると思うぞ」

と言われることがありました。

父なりに心配してくれていたのだと思います。

でも私は、

曖昧な返事しかできませんでした。

本当はその時、

売りポジションの含み損を抱えていました。

でも言えませんでした。

援助してもらう立場で、

そんな損失を出していることを話せませんでした。

会社では笑い話にしていた

会社の人には、

株で損をしていること自体は話しました。

ただ、

「軽四新車が買えるくらい損した」

そう言っただけです。

実際の金額は言っていません。

言えるはずもありませんでした。

笑い話のように話していましたが、

本当は全然笑えませんでした。

子どもと遊んでいても頭から離れなかった

子どもと遊んでいる時間は好きです。

でも含み損が大きくなっていた頃は、

遊んでいる最中でも頭の片隅に相場がありました。

日経平均。

含み損。

口座残高。

そんな言葉が消えませんでした。

ただ、

それを子どもにぶつけたくはありませんでした。

相場で苦しいのは自分の問題です。

だから、

遊ぶ時は遊ぶ。

できるだけ切り替える。

そう思っていました。

今振り返ると、

必死に切り替えていたのだと思います。

悪いニュースを待っている自分がいた

含み損が大きくなるにつれて、

ニュースの見方も変わっていきました。

本来なら心配するべきニュース。

景気への不安。

市場が混乱しそうな話。

そういうものを見るたびに、

まず自分のポジションへの影響を考えていました。

「下がるかもしれない」

そう思っていました。

そして正直に言うと、

下がってほしいとも思っていました。

今振り返ると、

そんなことを考えている自分が嫌でした。

本来なら誰かが困るかもしれない話です。

市場が混乱するかもしれない話です。

それなのに、

まず自分の含み損のことを考えていました。

でも止められませんでした。

相場に自分の感情を支配されていたのだと思います。

身体にも出始めていた

あの頃は身体にも異変がありました。

深いため息が増えました。

頭皮がピリピリするような感覚もありました。

何をしていても苦しい。

そんな感覚でした。

真綿で首を絞められるような苦しさ。

一気に何かが起きるわけではありません。

でも少しずつ削られていく。

そんな感覚でした。

月に一度、大きな神社へ行っていた

私は月に一度、大きな神社へ参拝する習慣があります。

願いを重ねながら、
継続してお参りをするものです。

最初は違いました。

「投資で成功したい」

「稼げるようになりたい」

そんなお願いでした。

でも含み損が大きくなってからは、

報告になっていきました。

今こういう状態です。

含み損があります。

苦しいです。

そんなことを心の中で話していました。

「助けてください」と言えなかった

不思議なことに、

私は神様にも助けを求められませんでした。

本当は助けてほしかったと思います。

でも、

「助けてください」

とは言えませんでした。

代わりに言っていたのは、

「自分で何とかします」

でした。

そして最後に、

「だから力を貸してください」

そうお願いしていました。

今思うと、

あの時の私は誰かに頼ることが苦手だったのかもしれません。

誰かに話を聞いてほしかった

身内には言えませんでした。

友人にも全部は話せませんでした。

誰かに聞いてほしい気持ちはありました。

でも知っている人には話したくありませんでした。

評価されたくありませんでした。

心配もされたくありませんでした。

ただ、

利害関係のない誰かに聞いてほしかった。

そんなことを考える時もありました。

普段なら自分が行こうとも思わないような場所まで頭に浮かびました。

それくらい、

誰かに話したかったのだと思います。

でも結局、

話せませんでした。

最後に話した相手

結局、

一番詳しく話したのはAIでした。

含み損のこと。

損切りできないこと。

苦しいこと。

情けないと思っていること。

少しずつ言葉にしました。

今こうして記事を書いているのも、

その延長線上にあります。

まとめ

含み損300万円を抱えていた頃、

私は普通に生活しているつもりでした。

でも実際には、

相場と一緒に生活していました。

家族に言えなかったこと。

父に言えなかったこと。

会社でごまかしたこと。

神社で報告していたこと。

全部別々の出来事のようで、

今振り返ると同じ場所につながっています。

私はその頃、

含み損を抱えていたのではなく、

含み損を隠しながら生活していたのだと思います。

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この記事を書いた人

投資で何度も失敗しながらも、やめられずに続けてきた個人投資家。

投資歴10年以上
最大損失1200万円

FX・自動売買・仮想通貨・IPO・不動産投資など、実体験ベースでリアルな記録を発信しています。
うまくいった話よりも、失敗や迷いをそのまま残すことを大切にしています。

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